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この世界では、すべてに値段がつく。
剣も、宝石も、土地も――そして、人間にも。
スキルの強さも、血筋も、才能も。
すべては“価値”として数値化される。
価値の高い者は、富と地位を得る。
低い者は、使い潰されるだけの消耗品。
そして一度ついた値札は、そう簡単には覆らない。
……少なくとも、この世界では。
「おい、クラド。手ぇ止まってるぞ」
怒鳴り声と同時に、木箱が足元に叩きつけられた。
中身は壊れた剣や欠けた装飾品、売り物にもならないガラクタばかりだ。
「今日中に全部仕分けしろ。どうせお前のスキルじゃ、それくらいしか役に立たねぇんだからな」
周囲から笑いが漏れる。
――【
それが、俺の持つスキルの名前だ。
物の“価値”が数字で見える。ただそれだけの、どうしようもないハズレスキル。
この世界では、スキルこそがすべてだ。
強力な戦闘系スキルを持つ者は騎士や冒険者として名を上げる。
生産系でも希少な能力があれば一生食いっぱぐれることはない。
だが――俺のスキルは違う。
見えるのは、ただの“価格”。
それも市場での取引額程度の、なんの変哲もない数字だ。
戦うこともできない。
何かを生み出すこともできない。
ただ値札が見えるだけの力に、価値なんてあるはずがない。
だから俺は、こうして商会の雑用係に甘んじている。
……いや、“甘んじている”なんて言い方は格好をつけすぎか。
実際のところは、他に行き場がないだけだ。
一度は「使えるかもしれない」と雇われたが、結果はこの通り。
今じゃゴミの仕分けが唯一の仕事で、給金も最低限。
気に入らなければいつでも切り捨てられる立場だ。
――価値の低い人間は、使い潰される。
それが、この世界の当たり前。
そして俺は、その“低い側”にいる人間だった。
「……やってますよ」
適当に返しながら、俺は視線を落とす。
せめて、この仕事だけはこなさないと、明日食うものにも困る。
……そんな風に、自分に言い聞かせながら。
「おい、クラド。まだ終わってねぇのか?」
背後から声が飛ぶ。
返事をするより早く、木箱が足元に落とされた。中身がガチャリと音を立てる。
「ほら追加だ。暇そうだったからな」
「……見ての通り、暇ではないんですが」
言いながらも、俺はしゃがみ込んで中身を確認する。
壊れた剣、欠けた皿、割れた宝石の欠片。見慣れたガラクタの山だ。
「大丈夫だって。お前なら“値段見るだけ”で終わるだろ?」
男が肩をすくめる。
「むしろ楽な仕事だよな。俺なんか重い荷物運んでんのに、お前は眺めてるだけで金がもらえる」
「それ、交換します?」
「やだね。俺はちゃんと“役に立つ側”だからなァ」
間髪入れずに返される。
周囲でくすりと笑いが起きた。
別の男が、棚から適当な装飾品をひょいと投げてよこす。
「ほら、“専門家”。これいくらだ?」
反射的に受け取り、視線を落とす。
《
「……35Gです」
「おお、正解。すげぇな、値札が読める」
拍手の真似事がぱちぱちと鳴る。
「なぁ、それってスキルじゃなくて“目”でよくないか?」
「やめとけよ。クラドの目は“高性能”なんだ。ほら、ちゃんと数字が浮かぶんだろ?」
「それってつまり、“目の前に書いてあることを読む能力”ってことか?」
「最強じゃねぇか。俺も欲しいわ、その力」
笑い声が広がる。
――慣れている。
腹は立つが、いちいち反応しても意味はない。
事実、俺のスキルはそういうものだ。
「で? その首飾り、買うか? 特別に30Gでいいぞ」
「値段下げてるじゃないですか」
「ほら、ちゃんと役に立ってるだろ。値切りの参考になる」
「それ、普通に交渉でいいですよね」
「お前に交渉ができると思うか?」
即答だった。
「……思いませんね」
また笑いが起きる。
店主が奥から顔を出した。
「遊んでねぇで手ぇ動かせ。日が暮れるぞ」
「ほら、ボスも言ってる。値札係は忙しいんだ」
「ちゃんと全部読めよ? 一つでも見落としたら世界が終わるかもしれないからな」
「そのときはクラドが責任取ってくれるさ。“見えてたのに見逃しました”ってな」
「それ、ただの無能じゃねぇか」
どっと笑いが弾けた。
俺は何も言い返さず、箱の中に手を突っ込む。
冷たい鉄。ざらついた木片。割れたガラス。
触れるたびに、頭の中に数字が浮かぶ。
《鉄の剣:120G》
《欠けた皿:2G》
《装飾片:1G》
――安い。
どれも、笑えるほどに安い。
使い道が限られていて、代わりはいくらでもいて、壊れたら捨てられるだけの存在。
……まるで、自分みたいだ。
「おいクラド、そっちは終わったか?」
「まだです」
「遅いな。お前のスキルなら一瞬だろ?」
「全部読むのに時間がかかるんです」
「へぇ、“読む”のに?」
「……はい、“読む”のにです」
一瞬の沈黙。
すぐに、また笑いが漏れる。
「頑張れよ、識字能力担当」
「読み間違えるなよ? 人生かかってるんだからな」
「もうかかってるだろ。ほら見ろ、その顔」
軽口は止まらない。
だが、それでも手は止めない。
止めたところで、何も変わらない。
――価値の低い人間は、使い潰される。
それが、この世界の当たり前だ。
せめて、この山を片付ければ、今日の分のパンは手に入る。
それで十分だ。
それ以上を望む余裕はない。
……そう思っていた。
だが、ふと手が止まる。
指先に触れた感触が、いつもと違った。
冷たい鉄でも、ざらついた木片でもない。
やけに軽くて、滑らかで、指に吸いつくような感触。
箱の中を覗くと、他のガラクタに埋もれるようにして、それはあった。
小さな指輪だった。
黒ずみ、泥にまみれ、装飾も潰れている。
誰がどう見ても価値のない代物だった。
さっきまでの流れなら、迷わず“5G以下”と切り捨てていたはずの品。
――なのに。なぜか、目が離れない。
理由は分からない。ただ、胸の奥にわずかな引っかかりが残る。
まるで、「見落とすな」とでも言われているような違和感。
俺は無意識に、その指輪を拾い上げていた。
指先で軽く泥を拭う。
すると、視界の奥で、いつもの数字が浮かび上がった。
《???:9,999,148,000G》
――思考が、一瞬だけ止まった。
桁が違う。
もう一度、見直す。
《???:9,999,148,000G》
……変わらない。
見間違いじゃない。
こんなボロの指輪に、この額。
あり得ない。
まず疑ったのは、スキルの誤作動だ。
だが――この目が狂ったことは一度だってない。
……なら、これは本物か?
黒ずんだ指輪。潰れた装飾。価値なんて、どこにも見えない。
そのはずなのに。さっきの違和感が消えない。
――見落とすな。
そんな感覚だけが、妙に強く残っている。
「おい、何ぼさっとしてる」
店主の声が飛んだ。
……時間はない。
いや、考えるまでもない。
俺は、指輪を握りしめた。
「これ、俺が引き取ります」
「あぁ? そんなゴミ、好きにしろ。どうせ捨てる予定だったんだ」
鼻で笑われる。
――なら、ちょうどいい。
誰も気づいていないんだ。この価値に。
だからこそ、俺が取る。
俺は初めて、この力に賭けることにした。
***
その日の仕事を終えると、俺は金を握りしめたまま店を出た。
向かう先は、裏通り。
昼間でも薄暗く、湿った空気が肌にまとわりつく。そんな場所だ。
石畳は汚れ、どこかで流れた水が黒く淀んでいる。
鼻をつくのは、酒と汗。それに、わずかな腐臭。
表通りとは別世界だ。
ここでは、価値の低いものが押し込められている。
「見てけ見てけ! 安いよ安いよ!」
「そこの兄ちゃん、働き手ならこっちだ!」
怒号と笑い声が入り混じる中、俺は足を止めずに進んでいく。
視界の端に数字が浮かぶ。
《労働奴隷:300G》
《雑役女:120G》
《荷運び要員:80G》
……安い。だが、それ以上に、どれも“その程度”だ。
上下はあっても、誤差の範囲。
未来を感じない、同じような数字の羅列。
――価値ってのは、こんなにも分かりやすいものか。
そう思いかけた、そのときだった。
視界の端に、ノイズのような“歪み”が走った。
反射的に足を止め、振り返る。
今まで見てきた数字とは、明らかに違う感覚だった。
路地の奥。人の流れから外れた、影の中。
そこに、一人の少女がいた。
薄汚れた布に包まれ、地面に座り込んでいる。白銀の髪はくすみ、顔は伏せられていた。
誰も声をかけない。値札すら、まともに付けられていない。
――売れ残りだ。
そう判断した瞬間。その上に浮かんだ数字が、視界を塗り替えた。
《???:――――G》
一瞬、表示が乱れ――。
《???:999,999,999,999G》
思わず息を呑んだ。
桁が違う。違いすぎる。
さっきの指輪どころじゃあない。
今まで見てきたすべてを足しても、絶対に届かない額。
「……なんだよ、これ」
声が漏れる。
すると少女が、ゆっくりと顔を上げた。
灰色の瞳。感情の薄い、空っぽの目だ。
なのに――目が離せない。
「……なんで」
かすれた声が届く。
「なんで、そんなに見るの……?」
問いかけというより、確認に近い声音だった。
俺は一歩、踏み出した。
理由は分からない。
ただ、分かっていることが一つだけある。
――これは、“当たり”だ。
「……お前を買う」
気づけば、口にしていた。
すると、近くにいた店主がギョッとした顔でこちらを覗いてきた。
「はぁ? そいつを? 売れ残りだぞ。持ってくなら好きにしろ」
周囲から、くすくすと笑いが漏れる。
「兄ちゃん、趣味悪いな」
「もっとマシなの選べよ」
雑音は無視でいい。
俺には見えているんだ。こいつの“価値”が。
「いくらだ?」
「……100Gでいい。どうせ誰も買わねぇ」
安すぎる。が、それでいい。
俺は迷わず金を差し出した。
硬貨が触れ合う音が、やけに軽く響く。
それで取引は終わりだった。
少女の手を取る。驚くほど冷たい。
それに、軽い。骨ばった指先が、わずかに震えている。
「立てるか」
小さく頷く。その目が、ほんの少しだけ揺れた。
背後で、誰かが言った。
「100Gのガラクタか」
――違う。
心の中で、否定する。
これは、俺の人生を変える“投資”だ。
「ところで君、名前は?」
「……ない」
「そうか」
なら。
「ミリスだ」
「え……?」
「今日から、お前はミリスだ」
少女――ミリスが、わずかに目を見開く。
その瞬間。ほんの一瞬だけ、その瞳に光が宿った気がした。
価値は変わる。いや――。
――俺が、変える。
急ぎ足で競売会会場――オペラ座を出ると、露店の連なった夜市が広がっていた。 ほんの数分前まで笑い声で満ちていたはずの夜市は、もうそこにはない。 果物を抱えた商人は荷車を放り出し、家族連れは悲鳴を上げる子供の手を引いて逃げる。 行き交う人々が我先にと押し合い、倒れた誰かを踏み越えて逃げて行く。 その中心に、夜空を背負うように立つのは、三メートルを超える怪物。 ベリアルは逃げ惑う群衆など眼中にない様子で、一軒の露店を掴み上げた。 次の瞬間、その屋台は砂のように崩れ始めた。 木材も、布も、並べられていた雑貨も。 触れられた全てが色を失い、灰となって夜風へ溶けていく。『脆い』 ベリアルは掌に残った灰を見つめ、退屈そうに呟いた。『価値無き器は、触れるだけで崩れる』 言葉と同時に近くの露店を蹴散らす。 その風圧一つで、周囲のテントが舞い上がり、小さな瓦礫が飛び荒む。「皆さん、下がって!」 《硬》 カグヤが間髪入れずに札を切り、障壁を展開した。 それでも勢いがついた瓦礫は、その障壁すら突き破って襲いかかってくる。『先刻の人の子か。何をしに此処へ来た』「そんなの決まってるだろ! オマエを止めに来たんだ!」「街を壊すなんて、そんなの許さない!」『戯言を。貴様らのような無価値なデク人形に、我は倒せぬ』 ベリアルは俺たちを見下しながら、一歩踏み出す。 地面が大きく揺れ、思わず転びそうになる。『だがこの我に立ち向かう勇気、賞賛に値する。価値なき勇気だがな』「図体だけじゃなく、態度もデカいとはなァ。ハッキリ言って、私はアンタが嫌いだぜ」 ヴェルカは鼻で笑い、スカートの裾を豪快に引き裂いた。 そして先程のお返しと言わんばかりに右脚を踏み出し、ベリアルの顔を睨み上げた。「テメェにも教えてやるよ。人間サマの本気がどれくらい恐ろしいモノかをよォ!」『雑兵ほどよく吠えるものよ。まずは貴様から血祭りに上げてくれる』 巨大な拳が、ゆっくりと持ち上がる。「来るぞ!」 俺が叫ぶより早く、ベリアルの拳が大地に叩き付けられた。 轟音。 |石畳《いし
嫌な汗が背中を伝った。 アルベリオの身体に走った無数の赤い線が、鮮血となって噴き上がる。 噴き出した血飛沫がステージを赤く染め、観客席側から初めて恐怖の悲鳴が上がった。「おいおい、どうなってんだこりゃ?」 ヴェルカは目を丸くして周囲を見渡す。 誰がやったのか、アルベリオを襲撃した犯人を捜しているのだろう。 アルベリオだって、何が起きたか分からず放心している。 無理もない。 けれど俺たちには、それが何者の仕業なのか、薄らと分かりかけていた。 実際に、それを一度味わっているから。 だからこそ、恐怖が背筋をなぞる。「この現象って、まさか」 冷や汗がカグヤの頬を伝う。「なんで? ミリスが見た時、アイツは……」「いや、ミリスを疑うつもりはない。でも、この“能力”は間違いない」 そもそも、俺たちはアルベリオたちを殺すために来たワケじゃあない。 息があればそれで充分。カグヤの貨物を取り返せたらそれで良かった。 しかし、だったら何故――。「……一体これは、何の真似だ?」 アルベリオが、スーツを血に染めながら裏口を睨む。 その視線を追うように、俺たちも後ろを振り返った。「ゼロ……まさか、裏切ると言うのか!」「裏切るなんて酷い言い方は止してくれよ、会長」 裏口の前に立っていた男――ゼロは、指先でナイフを回しながらため息を吐いた。 顔はボコボコ、腕や脚に無数の痣を付けながら、しかし痛覚がないみたいに笑っている。「ぼくはずっと、この瞬間を待っていたんだよ」 言い終えると、ゼロの口が横に裂けた。 そのまま一歩、また一歩と歩み出し、すれ違い様に俺たちを振り返る。 だが、ゼロは俺たちに襲いかかるでもなく、アルベリオの前でしゃがみ込んだ。「ありがとう会長、おかげで予定通りに計画が進むよ」「ゼロ……君は一体、何者なんだ……?」 アルベリオは傷だらけの体を震わせながら、ゆっくりとゼロを見上げた。 するとゼロはにっ、と歯を見せるように唇を開いた。 笑っているのだろう。けれど、口角の筋肉が全く動いていない。「ぼくはゼロだよ。《奈落の楔》のゼロさ」 初めて聞く名だった。 ミリスとカグヤは言わずもがな。アルベリオも同じ表情を浮かべた。 誰一人として、その名に覚えがない。 ただ
「まさか……ゼロを倒したというのですか……?」 初めてだった。 アルベリオの貌から、余裕が音を立てて剥がれ落ちた。 ミリスは頬についた血を親指で拭いながら、にっこりと満面の笑みを浮かべる。「あんな奴、ミリスの敵じゃなかった」 ……笑顔で嘘を吐くな。 白かったドレスは赤く染まって、髪は煤だらけ。 両手なんて、小刻みに震えっぱなしじゃないか。 明らかに大丈夫ではない。けれど、「ハッ、強がりやがって」 その姿を見たとたん、ヴェルカが思わず吹き出した。「一体誰に似たんだか」 言いながら俺を一瞥した。 ――いや、多分アンタだと思うぞ。 口には出さず、目で言い返す。 それでも、ミリスの軽口が聞けただけで、胸の奥が少しだけ軽くなった気がする。 俺とカグヤ、ヴェルカ、そしてミリス。ようやく全員揃ったんだ。 それだけで、不思議と負ける気がしなかった。「……なるほど。これで四天鑑定は全滅ですか」 アルベリオはゆっくりと息を吐き、頭を抱えた。「悔しいですが、認めましょう。ヴェルカ、あなたの弟子は相当優秀なようですね」「今更褒めたって、お世辞でも嬉しくねえぜ」「だとしても、四天鑑定を退けた事実は受け止めざるを得ない」 非常に悔しいですがね。アルベリオはそう結んで、ニヤリと口の端を吊り上げた。 確かに俺たちは四天鑑定を倒した。 それなのに、胸は少しも晴れなかった。 むしろ、嫌な予感が背筋をなぞる。「だからこそ残念で仕方が無い。優秀なキミたちが、こんな悪女に利用されていることが」「悪女……?」 ヴェルカが? 利用している?「バカを言うな! 何を証拠にそんなことを!」「証拠? それは既にキミたちも知っているはずでしょう?」 アルベリオは露骨に大きなため息を吐いて、憐れんだ目を向けてきた。 けれど、その目に射貫かれて、ヴェルカとのこれまでの出来事が脳裏を駆け巡った。 商会で出会った日。 ガザルム坑道で、本当に死にかけたこと。 理由も聞かされないまま、この競売会へ連れて来られたこと。 ……言われてみれば。 俺たちは一度も、ヴェルカの本当の目的を聞いていない。「…………」 信じたい。けれど、反論できない。
ガベルが競売台に突き刺さった瞬間、それまで怒号と歓声で揺れていた会場が、水を打ったように静まり返った。 何百という視線が、一斉に俺たちへ突き刺さる。 ……やっちまった。 頭より先に身体が動いた結果がこれだ。 頬が熱い。 今さら「人違いでした」なんて顔をして帰れたら、どれだけ楽だろう。 そんな情けない考えが頭を過る。 けれど、俺の背中にはミリスがいる。 傷だらけになりながら、それでも笑って俺たちを送り出してくれた少女がいる。 あの笑顔を見た後で、アルベリオに背中を向けるなんて、できるはずがなかった。「……残念です」 アルベリオは本当に残念そうに息を吐いた。 怒っているわけじゃない。 むしろ、「どうして分からないんですか」とでも言いたげな顔だった。 その穏やかさが、余計に腹立たしい。「膝を撃ち抜けば、十分だと思っていたのですがねえ」 白い手袋を嵌めた指が、静かに俺を指す。「痛みは優秀な教師です。一度教えれば、大抵の子供は二度と同じ失敗を繰り返さない」 まるで当たり前の真理でも説くような口調だった。 その声音には、人を撃った罪悪感なんて欠片もない。「ですが、どうやら私も買い被っていたようだ」 黄金色の瞳が、ゆっくりと細くなる。「ヴェルカの弟子が、ここまで聞き分けの悪い子だったとは」「……言ってくれるな」 膝の痛みより先に、胸の奥がじりじりと熱を帯びていく。 思わず言い返しかけた、その時だった。「違う。それは教育なんかじゃない」 カグヤの声は震えていた。 それでも彼女は一歩も退かず、アルベリオを真っ直ぐ見据えて言い放った。「ただの脅しだ!」「結果が同じなら、過程はどうだっていいでしょう?」 アルベリオは眉一つ動かさない。 牧師のような穏やかさで、ゆっくりと言葉を重ねていく。「商売だって同じですよ。利益を得るためなら、手段は何だっていい」 その笑みが、僅かに深まる。「たとえ命を奪うことになったとしても、ね」「腐ってやがる……!」 思わず吐き捨てた俺を見ても、アルベリオは肩を竦めるだけだった。「だから、残念ですが愚かな君にはここで死んでいただきます」 白い手袋を|嵌
人間という生き物は、案外しぶとい。 それは賞賛ではなく、どちらかと言えば呆れに近い。 それがラグナの抱いた感想だった。 骨が折れようが、血が流れようが、肺が焼け付こうが、それでも生きることを諦めない。 否、諦める暇すらないだけなのかもしれない。 少なくとも今のミリスは、その典型だった。 ゼロとの戦いを終えた彼女は、自力で立っていることすら難しい状態だった。 にもかかわらず、それでも前へ進こうとしていた。 だがその度に身体が揺れ、今にも倒れそうになる。「無理しないで」 見兼ねたラグナが肩を貸す。 ミリスは少しだけ驚いた顔をした後、小さく笑った。「ラグナ、意外と優しい?」「私好みの可愛い子にだけはね」 呆れたように返しながらも、ラグナは肩を竦める。 優しい。 そんな言葉で片付けられるほど綺麗な理由ではない。 ただ少しだけ。 本当に少しだけ。 あの無表情な暗殺者が追い詰められていく様子が愉快だっただけである。 だから助けた。 それだけだ。 ――たぶん。 地下倉庫の崩れた通路を歩きながら、ミリスはぽつりと呟いた。「ねえ、ラグナ」「なあに?」「どうして助けてくれたの?」 その問いに、ラグナは一瞬だけ空を見上げる。 正確には天井だった。 けれど今は、空と呼んでも間違いではない気がした。「さあ、知ーらない。私は何もしてないわよ~?」 そう答えた後で、ラグナは少しだけ口元を緩めた。「でもそうね。きっと、勝利の女神様が微笑んでくれたんじゃない?」 だが数秒考え込み、「……いいえ」 と、自分で否定する。「今回ばかりは、微笑むどころか大爆笑してたみたいだけど」 その言葉に、ミリスは意味が分からないという顔をした。 勝負事というのは、公平であると同時に、もっとも不公平なものである。 しかし、だからこそ面白いとラグナは考える。 そして今回の勝負は、きっと女神様のお気に入りだったのだろうと、ミリスはそう結論付けた。 *** 一方その頃。 地下深くに築かれたオペラ座 《ファントム》では、既に夜天競売会の前哨戦が始まっていた。 幾重にも連なる赤い客席、天井を埋め尽くす豪奢なシャンデリア、舞台を
「クラド、カグヤ。ここは任せて、先に行って」 ミリスの言葉を聞いた瞬間、二人は何を言われたのか理解できず、ただ呆然と彼女の顔を見返した。 ここへ残るということは、三人がかりでも勝てなかったゼロを相手に、たった一人で時間を稼ぐという意味に他ならない。「それはダメだ!」 真っ先に声を荒げたクラドは痛みも忘れたように身を乗り出し、今にも倒れそうなミリスの肩を掴もうと手を伸ばした。「そんなの絶対ダメだ! お前一人残ったら――」「クラド」 だがミリスが静かに名前を呼ぶと、それだけで続きの言葉は喉の奥へ引っ込んでしまう。「時間がないの」 ミリスは裏口へ視線を向けた。 遠くで鳴り続ける鐘の余韻が、まだ地下倉庫の空気を震わせている。 夜天競売会は、既に始まっている。「でも!」「それに、今下手に動くのも悪手です」 今度はカグヤが口を開いた。 普段通り落ち着いた声だったが、その指先は小さく震えている。「この空間には奴の能力がまだあります。下手に移動すれば、会場へ向かうより先に切り刻まれます!」 カグヤの言葉に反論できる者はいなかった。 実際、こんな地雷原の中を駆けるのは、無茶というより自殺行為に等しい。 それでもミリスだけは首を横へ振った。「だからミリスが残る」「いけません」 即座にカグヤが否定する。 その反応は、いつもよりずっと強かった。「ミリス殿が残る必要なんてありません」 カグヤは俯き、唇を強く噛み締める。 そして、そっとミリスの肩に手を触れた。「貨物なんて、もうどうだっていいんです。私の目的なんかより、ミリス殿の命の方がずっと大事です!」 その場に沈黙が落ちた。 ミリスは目を見開く。「だから、お願いです」 カグヤはゆっくりと顔を上げた。 いつも冷静な紫の瞳が、今だけは少し潤んでいる。「一緒に、乗り切りましょう」 その言葉に、ミリスは小さく目を伏せた。 少しだけ。 本当に少しだけ、迷うように。 けれど次の瞬間には、もう答えを決めていた。「やっぱり、二人とも優しいね」 そう呟いた瞬間、クラドたちの身体がふわりと宙を舞った。「おいミリス! やめろ!」「ダメです! 降ろしてください!」 クラドが必死に腕を伸ばす。 カグヤも空







